まさかの外れ武器!?


 今回はさすがにちょっと後悔した。ドラクエウォークのガチャは自分の判断が甘くて後悔することが多い気がする。
 例えば、FGOの水着武蔵を引いた時は、運営に嵌められたとは思ったが、後悔はしなかった。何故かというと、あくまでも「情報が後出しにされた」というだけで、その場で与えられている情報の範囲では最善の選択をしたつもりだから。それに対して、今回のウロボロスの杖は「これまで2年間いいものが来ていた正月ガチャだから、今年もいいものが来るだろう」という先入観で、情報もそろっていないのに、頭に血が上った状態で思わず引いてしまった。これは良くなかった……。



 多分今までにドラゴンの杖が引けていたら、今回こんなに慌てて引かなかったと思う。「メタル系に効果のある呪文系武器」ということで、これまで唯一の性能を持っていたドラゴンの杖の、完全な上位互換が来たんだと思い込んでしまった。ドラゴンの杖には今まで何回もチャレンジし、全部袖にされてきたから、リベンジしたくなってしまったのだ。
 それが蓋を開けてみたら、ウロボロスの杖は不具合が確認されており、現状ではまだ評価すら固まらない武器というオチが。修正後の性能が最終的にどうなるか次第だけど、急いで引いたのは早計だった。

思い出の中でじっとしていて(ry

 新年早々、あまりポジティブなニュースではないが、自分がメディアミックスや二次創作目当てでなく遊んでいた、ほぼ唯一のソシャゲである「かんぱに☆ガールズ」について。去年サービスを終了したというニュースを年のまとめにも書いたが、ここで復活することになったようだ。


app.famitsu.com


 普通なら嬉しいニュースだが、なんとNFTゲームとしての復活だという。今までの時流でいうと、NFTゲームでまともなゲームを見たことがないので、これはあまり前向きに捉えることはできない。新作ゲームとして出しても売れないから、終了させたIPを無理やり復活させ、かつてのタイトルのファンにお金を落とさせようという目論見ではないかと邪推してしまう。これが、普通に他のDMMの復活ゲームのように、通常のタイトルとして復活するのであれば喜ばしいが、やはりNFTとゲームというのは相性が非常に良くない。
 公式サイトを見ても、旧タイトルの要素を活かすというのをやたら強調しているのが非常に気にかかる。通常、こういうタイトルをリブートする時には「新しい追加要素がこれだけある」というのを強調するはずだが、NFT以外の新しい要素がほぼ紹介されておらず「旧作の要素を生かしています」というのを強調しているのは、ゲームとして新しい部分がほとんどないからではないのだろうか。私自身は前にも書いたとおり、そもそもブロックチェーンそのものがあまり好きではないので、復活したかんぱに☆ガールズを遊ぶことは恐らくないだろう。
 私の中では旧シリーズの最終日、一緒に会社を始めたモニクと最後を迎えたところで私の傭兵会社は終わっている。むしろそこで綺麗に終わっていて欲しい。今は消されてしまったとある動画で引用されていた有名作品の一節が、どうしても思い出されてならない。

 死刑にするため助けたんじゃない!!
 どうしてわざわざ2回も殺すんだっ なぜあのまま死なせてやれなかった!!

 ──ブラックジャック「二度死んだ少年」より

TENET

TENET テネット(字幕版)

TENET テネット(字幕版)

  • ジョン・デイビッド・ワシントン
Amazon


 そもそも、どうしてこの「テネット」という映画を見たかというと、YouTubeのお勧め動画でテネットの解説動画が上がってきたからだ。それがこの動画である。



 動画を見て「この映画面白そうだな」と思ったが、実際に映画本編を見てみるとかなり難しくてなかなか理解できない。もちろん、動画主の人はこの映画が好きで、見た人の理解を促進するために解説動画を出したのだろうけれど、本編を見てみた正直な感想を言わせてもらうと、本編より解説動画の方が面白かったというのが私の印象だ。


 以下、本編のネタバレがあるので折り畳む。















 この映画をものすごく乱暴に簡単に言ってしまうと、過去から未来へ普通に時間を進む登場人物たちと、逆行、つまり未来から過去に向かって時間を進む方法を知り、それを利用する未来人たちとのせめぎ合いがテーマなのだが、これが画面上非常にわかりづらい。解説動画が作られたのも恐らくそれが理由だろうが、解説動画を見ていてすら理解できないくらい難しかった。
 クリストファー・ノーラン監督はCGが嫌いだという動画も同じ人が作っているが、ぶっちゃけこれはMCUよろしくCGでも何でも使って、逆行時間を進んでいる人間というのが画面でははっきりわかるようなエフェクトをかけるべきだった。



 何回も何回も本編を見て「実は順行時間のここに、逆行している人物がこのように写り込んでました」と言われても、別に「ウォーリーを探せ」をやりたいわけではないので、あんまりカタルシスがない。それよりは話の筋書きをわかりやすくしてほしかった。

 実際この映画、敵の目的を理解するだけでも非常に大変だ。敵──未来人の本当の目的は、こちらの解説動画にあるとおり「アルゴリズム」という装置を発動させて、逆行時間の中で未来人が生きれるようにするというものだ。



 ただ、その装置を発動されると順行時間で生きている普通の人間たち──今を生きる人間たちは皆生きていられなくなるので、過去の人間対未来の人間みたいな図式になっている、というのがこの映画の対立軸だ。しかしここも非常に観客にはわかりづらくて、まず「現代を生きる者たちが未来まで生きられなかった場合、未来人たちは存在し得るのか」とかいうタイムパラドックスの問題が、監督の頭の中では整理されてるのかもしれないけれども、いまいち観客には伝わってこない。
 解説動画を作ってる人も言っているが、この作品は決定論的な世界観で作られているというのは分かるものの、これもピンとこない。敵も現代人に敵対して未来人の肩を持つことにどんなメリットがあるのか。「自分の残り寿命がもう少ないから未来人の味方をしてもいいんだ」というだけであれば、数百年後の未来人から見て、たかだか数十年しか違わない主人公側と敵の寿命の差にどんな意味があるのか。



 そして、この難しい筋書きを理解できたら面白い作品なのかというと、そう思えないというのが最大の問題だ。
 この作品の「主人公」、日本語版では「名もなき男」と呼ばれているが、実際原文だと「Protagonist(主人公)」という名前だ。作中でも「俺は『主役』だ」なんて台詞がある。つまり、主人公自身が自分が主人公だと自覚している、デッドプールのように第4の壁を破ったキャラだという解釈もできるのだ。
 しかも、最後の最後で「実は本当の黒幕は主人公自身でした」とか言われると、なおさらちゃぶ台返しというか「真剣に見ていた視聴者たちは何だったの」みたいな話になってしまう。そうなると、順行時間と逆行時間の相克みたいなテーマも、どこまで真面目に捉えていいものなのか。

 果たしてこの作品は、哲学的な作品として見ればいいのか、メタ作品として一歩引いた視点で見ればいいのか、それとも真面目に考察すべき作品なのか、その辺が自分の中でよく掴めなかったというのが、自分の中でこの作品の評価が今一つ高くならない理由である。