治安の悪いゲーセンは……?


 この間の渋谷ネタの続きっぽくなってしまうが、私自身が行ったことのあるゲーセンで、一番危険な思いをしたのは渋谷のゲーセンである。前にストゼロで書いたことがあるエピソードだ。どぐらさんも、動画でコメントしている人たちも、ゲーセンの名前がサッと出てきて凄いと思うのだけど、自分の場合行ったゲーセンの名前は覚えておらず、場所しか記憶にない。もちろん今はもうないゲーセンだというのは前にも書いたとおりだ。

 むしろ、私は小学生の頃からゲーセンに通っていたが、ゲーセンの中でカツアゲにあったり、危ない目にあったことは上記を除いてほとんどない。もっというと、格闘ゲーム、対戦ゲームが出てくるまでの治安の悪さと、出てきた後の治安の悪さは別のものだった気がする。
 格闘ゲームが出てくるまでは、台を蹴飛ばしたり、殴りつけたりする人はほとんど見かけなかった。相手はコンピューターだから怒っても仕方がない、みたいな。治安が悪かったとすると、人目につきづらいからと、隅の方でタバコを吸っている学生がいたりしたかもしれない。当初はそういう面での治安の悪さだったが、ゲームが市民権を得たり、店内にプリクラが置かれるようになったりしてから、そういうプレイヤーは少なくなっていき、逆に対戦ゲームで熱くなる人が増えた印象だ。しかし、店内で喧嘩までしている人は幸い見かけたことがない。

「指輪」は複数形


 この手の「邦題がひどい」という動画やブログを見るたびに、私自身が挙げたいタイトルがあるのだが、他ではあまり見かけたことがない。どのタイトルかというと「ロード・オブ・ザ・リング」だ。
 ロード・オブ・ザ・リングの翻訳がひどい、というのはもう何度も書いたけれど、実はタイトルそのものからも、重要な意味が欠落している。「ロード・オブ・ザ・リング」と呼ばれている映画の原題は「The Lord of the Rings」と複数形になっているのに、邦題はなぜか複数形のSが取れて、単数の「リング」になってしまっている。複数形のSを省略することはままあることらしいが、ことこのタイトルにおいては省略するべきではなかった。
 原作を読んだ人はお分かりのとおり、何故原題のThe Lord of the Ringsが複数形になっているかというと、これはあの有名なフレーズである「一つの指輪は全てを統べ」という、この「全て」というのが、世界を意味すると同時に「全ての指輪」を意味する、ダブルミーニングになっているからだ。
 ここでいっている「全ての指輪」というのは、人間族の王が持つ九つの指輪、ドワーフ族が持つ七つの指輪、エルフ族が持つ三つの指輪のことだ。一つの指輪には、姿を消す能力と同時に、これら各種族の王たちに与えられた指輪の持ち主を支配する力も込められている。だから原題の「指輪の王」という言葉には、「一つの指輪の本来の持ち主」という意味の他に、「その他の十九個の指輪の持ち主たちを支配する者」という意味が掛けられている。
 タイトルを「ロード・オブ・ザ・リング」と単数形にしてしまうと、この後者の意味が欠けてしまう。一つの指輪の王であるということしか表していないので、せっかくタイトルに込められているダブルミーニングが消えてしまうのだ。劇中に九つの指輪の主たち(ナズグル)やエルフの指輪が登場しているにもかかわらず、である。