もちろん基本4職


 前にも書いたと思うけど、私はこのゲームをダンジョンズアンドドラゴンズになぞらえているので、ゴッドハンド(ファイター)、大魔導士(マジックユーザー)、大神官(クレリック)、ニンジャ(シーフ)が同列1位で4つだな。他の職業が実装されるたびに相対的に弱体化してるのは残念だけど。

ブレイドオブアルカナのシナリオの話(3)


 前回の記事について、何点か補足したいと思う。

 まず、導入を作りやすいアルカナと作りにくいアルカナについて触れた際、「作りにくいアルカナは関係者を因縁として取得することで、個人からの依頼として導入を作ることを考える」と書いた。これを読むと「あれ? それなら毎回個人の依頼として導入を作れば、アルカナはどれでもいいのでは」と思われたかもしれない。
 例えば、アダマス(騎士)ではないPCが、エステルランド国王ヘルマン1世の因縁を取得し「自分はヘルマン1世の知己なのだから、アダマスでなくてもエステルランド王家に仕えるPCとして依頼が受けられるな」と考えたとしたら、これは半分正しく、半分間違っている。何故なら、そのPCはヘルマン1世の個人的な知己でしかなく、マルガレーテ王妃やヒルデガルド王女との接点が存在しないからだ。エステルランド王家は一人ではない。利害関係もバラバラに存在する。ヘルマン1世からの依頼、ではそぐわない導入もあり得るのだ(むしろその方が多いかもしれない。ヘルマン1世は正気を失いつつある)。
 もしPCが「エステルランド王家に使えるアダマス」なら、国王からも王妃からも王女からも依頼を受けられるが、ヘルマン1世の個人的な知り合いではそれは叶わない。
 もっと言えば、キャラクター作成時点では「どこかの領主に使えるアダマス」としか決まっていないPCであれば、他国であるブレダ王国が舞台となるキャンペーンで、ガイリング2世から依頼を受けることすらできる。一言で言えば「カバー範囲が広い」のである。

 さらに、セッション中についても似たようなことが言える。導入ステージやハンドアウトの選択とは別個に、シナリオ中で魔物が登場するシーンがあったとする。現在のアルカナがアングルスのPCの場合、NPCはこの人に頼ろうとは考えない。アダマスならこの人は守ってくれるだろうと判断する。PC個人がどのような特性を持っているか、どんな因縁を持っているかは、この際関係ない。「現在のアルカナ」つまり「他人からPCがどう見えるか」とはそういうことなのだ。



 また、この「導入しやすいアルカナ」は「キャンペーンの2話」にも大きな影響を与える。2話というのは場合によりけりで、3話だったり4話だったりすることもある。要するに「キャンペーンの1話目、あるいは単発シナリオ」なら、話に絡みにくいアルカナのPCでも、PC1に据えて当事者性を高めることでシナリオに絡められるが、次はどうする? という話である。
 PC1のアングルスが故国を復興するキャンペーンをやったとして、最初から最後までずっとPC1にしかスポットライトが当たらないキャンペーンというのは望ましくない。途中で他のPCにスポットライトを当てたくなることもあるだろう。そんな時、元のPC1をどうやって物語に絡めるか。もちろん、PC同士は互いの因縁を持っているので、知り合いとして話に巻き込むことはできるが、それがやりにくい関係性、というのも存在する。
 PC1が故国復興を願うアングルスで、PC2がそれを助けるステラ、PC3はPC1の故国を滅ぼした宮廷魔術師に瓜二つのアクシスで、PC4が宮廷魔術師の暗殺を命じられた暗殺者、というキャンペーンだとしよう。1本目のシナリオでは、PC2の顔見知りのPC3はPC1に仇と間違われたが、シナリオの成り行きでたまたま協力し合い、宮廷魔術師の配下である殺戮者を倒した、とする。
 キャンペーンの2話がPC3を主役とするシナリオだったとしたら、元のPC1はどうやってシナリオに絡めるだろうか。PC3からすると、PC1は迷惑をかけられただけの相手で、しかも直接の因縁もない(因縁があるのはPC2とPC4)。何かを頼もうという気にならないだろう。しかし、これがPC1が故国復興を誓い、修道院に身を寄せたマーテルなら、教会からの依頼という別ルートのフックを使い、展開ステージでPC3と対面した時に「あ、お前はあの時の…!」という展開がやりやすい。



 ここで挙げたのはあくまでも一例だが、PC個人の目的の他に、ミッションを持つ組織に所属しているというのは導入がやりやすいのだ。

 そこまで考えなければならないのなら、やっぱり「PCは全員冒険者」という導入でいいんじゃないの、と思われる方もいるかもしれないが、私はそうは思わない。
 すべてのセッションで、すべてのPCに高い当事者性を保ったシナリオを作るのは難しい。問題なのは、全員が同じ立場にいるか、それとも違う立場なのか、ということだ。セッションにおいて、ドラマというのはどこで生まれるか。立場が異なれば、それがすれ違うことでドラマが生まれる。過去が異なり、現在も異なるPCたちが、シナリオ上の利害が一致する一瞬だけ交錯し、そしてまた各々の道へ分かれていく。そこにこそ、ドラマがあると私は考えている。過去の設定があっても拾ってもらえないGMの下で、全てのPCに同じ目的が与えられ、惰性で同じ方向に歩み続けるパーティで、PCの個性を発揮したり、ドラマを生み出したりするのは、私には無理だ。