何故AD&Dに移行しなかったか

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 前編の時にはこの記事の存在に気づいておらず、後編の記事で合わせて前編を読んだ。
 この記事に書かれていることの多くは、前に紹介したゲイリー・ガイギャックスの伝記にも書かれていたことであり、アメリカ本国のみならず、日本でもそれなりに知名度があると思う。
 ただ逆に、本国のダンジョンズアンドドラゴンズ(D&D)の展開ではなく、日本語版の初期の展開については、Wikipediaには一通り経緯は書かれているものの、こういった記事で触れられたことはないし、恐らく今後も触れられることはないだろう。



 何故日本語版の展開について触れられることが少ないかというと、これは私の想像だが、日本語版展開を担当していた株式会社新和という会社が既に存在しないからだ。それをいったらTSRももう存在しないが、TSRの場合は買収によってWOC社に買われたことが明らかとなっている。これに対して株式会社新和は、Wikipediaを見てもそれ以外の資料を見ても「1993年頃事業を事実上停止する。翌1994-1995年頃倒産したとも他の会社に事業吸収されたともいわれるが経緯は定かでない」というような曖昧な記載しかない。


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 こういうケースは実は珍しい。黎明期のTRPG、T&Tを手がけていた社会思想社や、ルーンクエストホビージャパンソードワールド富士見書房といった会社は──TRPGを今も手掛けているかどうかは別にして──会社としては現存している。「その後の去就がわからない」というのは、TRPGを手掛けた会社としては他にあまり見ないケースである。
 また、富士見書房グループSNEの関係のように、クラシックダンジョンズ&ドラゴンズ(CD&D)の出版社としては株式会社新和が手がけていたものの、執筆作業の一部はORGのような別の会社に委託していたものと思われるが、そのORGの中心人物だった大貫昌幸氏が不幸にも早世されたというのも、「当時を知るものが少ない」という意味で、CD&Dの展開について後になって語られることが少ない理由の一つであるかもしれない。

 ところで、Wikipediaの記載がどこが誤っているかというと、CD&Dのサポート誌であったオフィシャルD&Dマガジンの最終号の記載が、こちらのページと上記の「株式会社新和」のページで食い違っている。


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 実際には、オフィシャルD&Dマガジンの最終号は23号であって22号ではない。



 従って株式会社新和の記述が正しいということになる。
 以降は、Wikipediaの記載を元に、当時の私自身の記憶を語っていきたい。
 CD&Dのサポート誌は、スタート時は「ドラゴンマガジン」。その後「FGジャーナル」、「オフィシャルD&Dマガジン」と誌名の変遷を経ているが、この雑誌には後発のTRPG関連雑誌にはない特徴が1つあった。
 多くのTRPGタイトルが、雑誌でその存在が予告された後に発売となることが多かったのに対して、CD&Dはベーシックルールセットが発売されてから1年経ってからサポート雑誌が発売された。つまり、本体を売るための宣伝媒体として雑誌があったわけではなく、本体を売った後、ユーザーたちが求めるサポートを実現するために発刊された雑誌ということになる。
 当時は今と違い、ユーザー同士のコミュニケーションも取りづらく、情報を得る手段も少なかった。ファンタジーというものはどういうものかも一般化されていなかったし、TRPGどころかRPGに関する情報も少なかった。よって、情報収集・交換の手段として雑誌が必要とされていたのだ。
 ところで、CD&Dの展開に関するWikipediaの記載で「アドバンスドダンジョンズ&ドラゴンズAD&D)への移行がうまくいかなかったから失敗した」という記載がある。これそのものは誤りではなく、当時の多くのプレイヤーにとっても共通認識だったと思われる。


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 しかしこの記述だけを読むと、当時「CD&Dが順調に売れたから」という理由で、新和株式会社が二匹目のドジョウを狙い、続編タイトルであるAD&Dを売ろうとして失敗した、というように読めるかもしれないが、実際には異なる。
 CD&Dのベーシックルールセットが発売されてからわずか1年の時点、サポート雑誌「ドラゴンマガジン」の創刊号で、既にAD&Dの紹介記事は掲載されていた。以降「CD&Dはあくまでも初心者用・入門者用であって、その先AD&Dに繋がっていくものだ」というのは、雑誌全体の編集方針としてずっと貫かれていた。
 これは、記事の一部が本国の記事を翻訳して掲載していたことにも関係があるだろう。CD&DからAD&Dへの導線は、日本独自のものではなく、本国ですでに引かれている導線だった。日本版の展開はあくまでも本国のそれに忠実に従っただけであると思われる。
 よって、株式会社新和としては、CD&Dの展開当初から望まれていたAD&Dの展開を、いよいよ満を持してスタートしたように考えていたかもしれない。
 しかし、実際に遊んでいた側からすると、AD&Dは非常に中途半端な存在だった。Wikipediaでは「サプリメントの資産やルールのノウハウが使用できず、簡単に移行できなかった」とあるが、私や仲間たちの意見はむしろ逆だった。「あまりにもCD&Dと似通いすぎていて、あえて移行する理由が見当たらなかった」のだ。
 逆にいうと、当時のCD&Dがちょうどミスタラ世界のガゼッタシリーズが出始めたところで、これから面白くなろうとしていたタイミングにもかかわらず、突然シリーズ全体が見捨てられたようにも見えたのだ。従来のファンからも、新しいファンからも支持を得られなかったという意味では、移行が失敗したという表現も間違いではないのかもしれない。
 ただ、当時の新和株式会社に関わった、色々な人の噂を聞く限りでは、少なくとも本国に追いつくようなペースで翻訳を行っていくのは、とても不可能だったような気がする。本国の手厚いサポートを真似できないのなら、ガゼッタシリーズの主だったものだけでも翻訳してからAD&Dに移行するべきだったのではないかと思う。
 ちょうど、世間のTRPGがルール重視の第一世代から第二世代に移行し始めたタイミング。AD&Dに費やしたリソースを、ガゼッタの残りのシリーズを翻訳するのに費やしていれば、また違う未来があったのかではないかと思うと残念だ。
 もっても、これもあくまで後知恵であって、当時何が最善の選択だったかなどというのは、やってみなければわからない話だっただろう。
 ただ少なくとも、新和株式会社が手掛けた最初のCD&Dの展開は、ホビージャパンが手掛けた3版から5版の展開に次ぐ翻訳本数を誇り、全体を見れば必ずしも失敗とは断じられない、とは思っている。
 何より私にTRPGというものを初めて教えてくれた作品だ。その意味では、今も懐かしさとともに感謝している。