辛口の理由

 私は以前、別のエントリで「言葉を操る人間への、私の評価は辛い」と書いた。中でもTRPG関連については、私の評価はより過激で辛辣である。

 理由は簡単で、私は同じ趣味でも小説や映画、TVゲームとTRPGとでは、異なる特性を持っていると考えているからだ(上等だとか低俗だとか、そういうことが言いたいのではない)。

 例えば、あなたは映画を観て面白くなかった時、映画館の店員に詰め寄るだろうか。小説を読んでつまらなかった時、本屋に怒鳴りこむだろうか。クソゲーを掴まされたといってゲーム屋に喧嘩を売りに行くだろうか。
 行かないだろう。その監督の作品はもう観ない、その作家の本はもう読まない、そのメーカーのゲームはもう買わない──そういった形で評価するはずだ。言い換えるなら、作品の責任を取るのはあくまでもそれを作った本人だと言える。

 では、TRPGはどうか。不備だらけのルール、破綻しやすいシナリオのせいでセッションが失敗に終わった時、真っ先に責任を取らされるのはゲームデザイナーか? シナリオライターか?
 違う。真っ先にプレイヤーたちに責められるのはGMだ。もちろん100%全ての責任をGMを負わせようとするプレイヤーは──滅多に──いないが、気まずい思いをするのはプレイヤー全員であり、そしてその矢面に立たされるのは、セッションを主宰したGMなのだ。

 私自身、GMをやり続けて何年経つだろう…20年近くか。それだけやっていても、たとえ相手が10年来の気心の知れた友人であっても、GMをやる前日には胃が痛くて眠れないことがあったし、今でも人前で話すのは緊張する。それだけGMをやるのは大変なことだ。その上プレイヤーたちに面白くなかったと責められたら、やる気が失せる人間だっているだろう。
 「今回のセッションはつまらなかったからお前とはもう遊ばない」と言われたGMがいたとしたら、ゲームデザイナーやシナリオライターが責任を取れるのか?
 私は声を大にして言いたい。あなたが無責任なことを書いたら、そのとばっちりを受けるのはGMなのだ、と。

 もちろん、ライターも人間だ。無謬ではない。間違いがあるのは仕方がない。それすら許容しなかったらTRPG関連の書籍は執筆できなくなってしまう。
 しかし、ルール裁定についてゲームデザイナーに確認したと称し、結果をプレイヤーに伝えないなどといった信じられないようなマスタリングをするリプレイライターや、明らかにテストプレイ段階で穴が生じていることがわかりきっているのに直すことなく、そのまま発売されたルール(索引がないとか!)、途中でプレイヤーが降りたくなったら他のシナリオをやればいいなどと軽い気持ちで書かれたシナリオなどには怒りを覚える。前のエントリで「プレイヤーにシナリオを見せれば、誰が悪いのかわかってもらえるよ!」などと書き散らしたことはあるが、実際そういう状況になれば失った時間が戻ってこないのは言うまでもない。

「ルールとかシナリオはともかく、リプレイの書き手とGMが責められるのには関係がないんじゃ」

 関係があるのだ。理由をこれから説明しよう。失敗したことが即座にわかる悪いシナリオより、考えようによってはリプレイやプレイガイドの方が酷い影響を及ぼすことがある。