これが未来か


http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1110/28/news033.html



 この動画を見た最初の感想は「おお、カッコいい! こんな技術が実用化されたら凄いな〜」というものだった。
 しかし……。


(以下、重箱の隅つつきな話)










 企業が夢を語るのは嫌いではない。金儲けの話しかせず、明るいビジョンを示さない会社よりこうやって夢を見せてくれる会社の方がよっぽどいい。
 それも、ただの夢物語ではなく、

 ビデオで表現されている未来はすべて、実際のテクノロジーに基づいている


 というのがいい。
 しかし、このビデオを何度も見るにつれて、疑問が湧いてきた。

 ビデオは、ある女性エグゼクティブの出張を中心としたストーリーになっており、メガネに組み込まれた翻訳ツールや、ジェスチャーや音声で操作できる薄型のモバイル端末、音声入力で投稿できる電子雑誌などが描かれている。PCや、冷蔵庫などの家電の可能性も紹介している。


 このビデオの中で一番目立つガジェットは、極薄で、半透過だったり全透過だったりいろいろなタイプが登場するものの「通信機能があって様々なアプリケーションが動作する、ディスプレイと入力装置が一体化した端末」。つまり大小取り混ぜたいろいろな形のスマートフォンだ。そういう意味では、アップルの方がマイクロソフトの目指すビジョンの実現に近いところにいることにならないだろうか?
 とはいえ、アップルかマイクロソフトかという部分にこだわるのがこの話の本旨ではない。
 基本的にこのビデオは、既存の技術を同一ベクトルで進化させることを想定しているように見える。車のフロントグラスなど身の回りのガラス製品のほとんどが液晶になっているなどの技術的なハードルが存在するものを除けば、既存の機械をより高性能に、小さく薄く美しく、あるいは大きく便利にしたものだ。
 しかし、である。昨日のエントリで述べたように、テクノロジーの進化は文化のあり方そのものを変化させる可能性がある。

 一番わかりやすいところで言えば、このキャリアウーマンは本当に出張する必要があったのか?
 今のテクノロジーが進化し、通信スピードが無限大、やり取りできるデータの容量も無限大、端末が取り扱えるデータのキャパシティも無限大になれば、わざわざ出張しないでもテレビ会議だけで話が済んでしまう可能性が高い(ビデオ内では既にその技術は実用化されている)。オフィスの隣の席同士で会話しているような内容は、このレベルまで技術が進化すればわざわざ出張して相手と会わなくても用件は終わる。
 出張が不要になれば、彼女が泊まろうとしていたビジネスホテルは閑古鳥だ。逆に、端末を使ってホテルにディナーが取り寄せられるようになったら、ホテルの回りのレストランは廃業だ。空港待ちのタクシーも需要は激減するだろう。

 杞憂だろうか? 決してそうではない。現にスマートフォンの発達で、コンパクトデジカメやソリッドオーディオやカーナビ、専用ゲーム機など、スマートフォンとは本来無関係なはずのアイテムがなくなるのではないかという推測をしている人がいる。例えばカメラ一つ取っても、コンパクトデジカメがなくなるということは一眼レフカメラも数を減らし、やがては市場から消えかねない。すると、趣味としての「写真」が存在し得なくなってしまう。
 スマートフォン一つでこれだけのものが壊され得るのだ。このビデオに登場する品々が全て現実のものとなったら、一体どれだけのものが壊され、どれだけ社会が変貌することだろう。
 テクノロジーが進歩していく時、必ずしも今日の道に続く明日が来るとは限らない。
 亡くなったスティーブ・ジョブスは、この点において普通の人より一歩先が見える人だった。だから、ユーザーが欲しいというものを作る必要性を感じていなかったのだ。彼の方がユーザーよりずっと先を見ているのだから。彼はiPodやiPhoneによって今あるものが破壊されることを知っており、それを承知の上で新しいテクノロジーを世に出していた。しかし、このビデオからは「既存の何かを破壊するメッセージ」は読み取れない。媒体が変わっただけで雑誌は雑誌として存在し、料理はレシピを見て作るものであるという視点は変わっていない。
 だがしかし、それらはテクノロジーが進化した時、果たしてそのままでいられるものなのだろうか?

 テクノロジーは素晴らしい。未来の夢も素晴らしい。しかし、それでもテクノロジーは万能ではないし、テクノロジーが夢を叶える時、壊されてなくなっていくものも確実に存在するのだ。