治ると思ってやりたい放題


 発進しますっ! シリーズで501のこれが頭一つ抜けて面白いのは、やっぱりエーリカ&シャーリー&ルッキーニのトリオが全力でバカをやるからだというのを改めて再認識(笑)。

糾弾したからには評価もしなければ

 先日指摘した「SwitchやWiiUで暗号化された公式配信動画が見れない」件については、Switchは本日のバージョンアップで対応が行われ、見れるようになった。前にも書いたが、いまや現役機とは呼び辛いWiiUが対応されないのはしょうがないし、無理を言うつもりもない。Vitaについては未確認である。本来であれば暗号化と同時に見れるようにしておくべきだとは思うが、これについては迅速な対応と評価できる。素晴らしい。

我は影、真なる我

ペルソナ4

ペルソナ4

ペルソナ5 - PS4

ペルソナ5 - PS4


 昨日のエントリで「自分にとって平成最高のゲームはペルソナ5」と書いたところ、先輩から「ペルソナ4じゃないの?」とツッコミを受けた(笑)。
 正直に言えば、昨日のあのエントリは3回ほど書き直している。タイトルが「ペルソナ5」じゃなく「ペルソナ」になってるのはその名残で、最初はペルソナ4と5を両方挙げるつもりだった。ただ、最高というからにはやはりどちらかを選ぶしかないだろうと、迷いに迷った末が昨日の結論である。
 ちなみに、ペルソナ2作の他にはFF11などもタイトルだけは浮かんだものの、オンラインゲームはゲームそのものが面白いというより、そこで新たな友人と出会って遊ぶことが面白い、つまりプラットフォームの提供的な意味合いが強い気がして除外した。「平成最高のゲーム」と言われて「プレイステーション」と答えるような違和感を覚えたからである。
 なお、本来「ゲーム」となっている以上、格闘ゲームその他のゲームも含まれるはずだが、熱中度や満足度を考慮すると、今回は俎上に上がらなかった。それだけ、私にとってこの2作は特別な存在である。

ペルソナ4とペルソナ5

 前にペルソナ5関連のエントリで「私はペルソナ4至上主義者で、ペルソナ4は別格の存在」と書いたことがある。その時点では、ペルソナ5に4を超える評価はしていなかったのだが、徐々に自分の中での評価が上がっていった。
 今日は、私の視点からこの2作を比較したいと思う。

2つの作品の共通項

 まず、私がペルソナ4、5が好きな理由は、昔のアドベンチャーゲームかギャルゲを思わせるようなコミュ&コープのイベントを巡る昼の面と、仲間と共にダンジョンに潜って敵を倒して先に進む夜の面が両方楽しめるゲームだからである。生産要素のあるRPGなどもそうだが、私はこういう「戦うだけではない」「生産するだけでもない」、お互いがお互いを補完しあうゲームシステムが好きだ。
 そして、言うまでもなく、この昼の面のゲームシステムを支えるのは「カレンダー」である。主人公の学生生活を学生生活たらしめているのはカレンダーだ。その日々が永遠でなく、終わりが来るからこそ学生は学生なのだ。よって、私はカレンダーの廃止には反対である。ペルソナ以外のゲームであれば、エンディング後も続けられるゲームが好きだが、ことペルソナに関しては、終わりが来なかったら、それはもうペルソナではない。それでも、ダンジョン攻略に関していえば、SPさえ続けば永遠に探索を続けられるし、そのための救済策も用意されている。これ以上望むものはない。
 と、書くと「3は?」と言われそうだが、私の印象だと、3はまだストーリー展開などでペルソナ1や2の空気を引きずっているように見える。ペルソナの方法論は4で確立され、5はそれを発展させたのだ。

 ここまでは、私が他のゲームではなく、ペルソナ4あるいは5を挙げる理由である。
 では、4と5のどちらを最高のゲームとして挙げるべきか。

戦闘について

 戦闘については、4から5になるにあたってバトルキャラの等身が上がり、デフォルメからリアルっぽいキャラになったりと技術は進歩している。ただ、技術が進歩しているからといって5を評価するとは限らない。前に誰かが呟いていたが、リアルになればなるほど、RPG特有のターン制バトルならではの挙動の違和感が大きくなる。デフォルメなら「現実でない」から許容できていたものが、許容しづらくなるのだ。
 ただ、4の敵は女神転生から連綿と続く親しみのある「仲魔」ではなく、シャドウ特有の抽象的な敵だった。ペルソナとして入手でき、共に戦えるのは仲魔だった頃と変わらないペルソナなのに、敵として登場するのはまったく別の存在、というのは、それはそれで違和感がある。5でペルソナと敵は同一の存在となったため、そこは分かりやすかった。
 バトルバランスについては、4の直斗ピーキー過ぎて非常に使いづらかったという点が5で改良され、後半で仲間になるキャラも使いやすかったのはよかった。
 甲乙付けがたいが、あえて挙げるなら5、ということになるだろうか。
 

ダンジョンについて

 ダンジョンについては、4がスタンダードなダンジョン、5がギミックつきダンジョンということで、特徴は大きく異なる。先に進むためにほぼ謎解きが必要となる5に比べ、4はこう言うのもおかしいが、安心して進めるダンジョンである。様々なギミックの存在と、それを使って身を隠すことができる点は5のダンジョンの面白い点で、カモシダ、ニイジマパレスあたりは「こんなところも進めるのか!」という新鮮な驚きがあった。
 しかし、オクムラやシドウパレスになると、ギミックがパズルゲームのようになり、敵と戦うというRPG的な要素をこなしながらパズルもしなければならないという状況になって、かなり辛い。その点、良くも悪くも4のダンジョンは「普通のダンジョン」であり、敵の存在とリソースにさえ気をつけていればよかった。
 5のダンジョンを評価したいところではあるが、少々理不尽さを感じるパズルもあり、正直後半ダレ気味になったのもあるので、4に軍配を。

コミュ&コープについて

 これは5のエントリで書いたと思うが、ストーリー的にはどちらも面白い。ただ、4のコミュが上位ペルソナの召喚にしか関わってこなかったのに対し、5のコープは直接ゲーム性を変化させる特殊能力の取得に関わっている。前作に変化をもたせたところはよかったが、このコープの特殊能力の有用性にとんでもない差があったのはマイナス点だ。僅差で5だろうか。

仲間について

 4の仲間も5の仲間もどっちもいいよね……。
 ストーリー展開と同様、4の仲間が最初から「俺たちマブダチだよね!」という展開なのに対して、5は最初はお互いに不信感があり、それが打ち解けていく過程がとてもいい。これはちょっと優劣は付けられない。

ストーリーについて

 ……というわけで、結局はここに帰結する。4と5のストーリーはどちらが面白かったか。
 ストーリー全体としてのまとまりでいえば、断然4である。それまでの女神転生やペルソナが、世界の命運が掛かっていたり、人類の未来がかかっていたりとスケールの大きなストーリーが多かったのに対して、一つの町の一連の殺人事件にのみ焦点を絞った。主人公たちが超常の力を振るっていても、それはあくまでも一つの事件にまつわるのみ。それ以上「大袈裟」な話にしないことで、破綻も矛盾も抑えられ、ストーリーの完成度という意味では非常に高かった。
 それに対し、5は先祖帰りしたかのようにまたスケールの大きな話となり、またストーリー自体も意外性や裏切りといった要素を組み込んだものとなった。必然、破綻や矛盾を抑えるのは前作に比べて難しく、それゆえかストーリー自体が賛否両論あるものとなった。ただ、これを全て否定してしまうと、物語に意外性を持たせることなどできなくなってしまう。ゲームというインタラクティブなメディアでここまでやれれば十分すぎるし、これを駄目といったら世に出るゲームの大半に失格の烙印が押されてしまう。


 そんなわけで、これらの要素を考慮すると、双方五分五分。5は私の中で別格ラインとした4に匹敵する名作ではあるが、超えるものではない……。ただ一点を除けば。




(以下、激しくネタバレ有りのため、未クリア者は読まないことをお勧め)











イゴール

 それでもなお、私がペルソナ4ではなく5を平成最高のゲームに挙げた理由は、端的に言えば「イゴール」の存在である。
 もう何度も何度も書いているが、世界樹の迷宮の21階に踏み込んだ瞬間や、アトラクナクアで回想シーンのセピア色がカラーになった瞬間と同じ、度肝を抜かれて画面の前で言葉を失うという体験。当日の日記を見ると、私がどれだけそれに驚かされたか、今でも鮮明に思い出せる。
 あの「そう来たか! やられた! アトラスに一本取られた!」という感覚は、4にはなかった。というか、そんな体験しょっちゅうあるものではないし、ゲームに必須のものでもないので、元々神ゲーの4にそれを求めるのがおかしな話なのだが。真犯人が分かっても、言い方は悪いが「ふーん」という感じだった。5でも、明智とオープニングに繋がる顛末を見ただけなら「ふーん」だっただろう。さらにもう一つどんでん返しがあったのが、度肝を抜かれた理由だ。
 これがあったから、私は5を挙げた。なければ4を挙げただろう。言うなれば、違いはそれだけである。