星と翼の終焉

 先日のエントリの続きである。
 何故、私がここまで位置情報ゲームにこだわるのか。前のエントリで「スマホならではの、スマホでしかできないゲームがやりたかった」と書いたが、実はもう一つ理由がある。
 それは「星と翼のパラドクス」のサービス終了と、ホロライブの「富士急ハイランドコラボ」のためだった──と言ったら、共感してもらうのはなかなか難しそうだ。「位置情報ゲーム」「星と翼のパラドクス」「富士急ハイランドコラボ」……まるで三題噺か何かのようだ。


 私は元々、観光のためにどこかへ出かけるという習慣があまりない。出かけるとすると買い物が理由であることが多い。そして、物を買いに出かけるということは、探しているものが見つからなかった場合は徒労に終わるということを意味する。
 そんな時私は、目的地傍のゲームセンターに寄ることが多かった。例えお目当てのものがなかったとしても、ゲーセンに寄ってそこでしか遊べないゲームをすれば、少なくとも出かけた意味はある。そんな風に考えるようにしていたのだ。
 そして、そんな私が近年「ゲーセンで遊ぶ意味がある」と思っていたのが「星と翼のパラドクス」だった。繰り返しになるが、星と翼のパラドクスのゲーム体験は、自宅では絶対に味わえないものだ。



 自宅で遊べるゲームなら自宅で遊べばいい。星と翼のパラドクスはそうではない。だから秋葉原に行っても、ウェアハウス川崎に行っても、私は星翼を遊んでいた。
 しかし、その星翼はもうない。星翼がなく、ボンバーガールすら自宅で遊べる今、ゲーセンに出向いて遊びたいと思うゲームはない。10歳の頃からゲーセンに通っていた私だが、初めて通う理由を失ってしまった。
 
 そして長い緊急事態宣言の期間中に、私が買い物に出かけて探していたもののほとんどが、自宅でアマゾンなどを通じて買えることも証明されてしまった。

新たなる旅路

 外出するモチベーションをなくしていた私だが、宣言が解除され、秋口になって久しぶりに出かけるきっかけができた。それが「ホロライブの富士急ハイランドコラボ」である。これに出掛けた理由は、その時書いたとおり、Vtuberという存在が現実世界の遊園地とどうコラボするのか見てみたかったという、単純な理由だった。


www.fujiq.jp


 しかし、この時富士急ハイランドに出掛けたことは、私にとっては想像以上に大きな気分転換になった。電車を乗り過ごしたことや道中で読んだ本すらいい思い出になったことも、もう書いたとおりである。
 冷静になって考えると、富士急ハイランドは絶叫系マシンの遊園地であり、それらが苦手な私はどのアトラクションにも乗れなかった。観覧車に乗った以外は延々と園内をグルグル回っていただけだ。どうしてそれがそんなに思い出に残ったのか。

 一つには、緊急事態宣言でずっと家に閉じ込められていたのが、本当に久々に出かけることができたから、というのがあるだろう。空腹は最高のご馳走というのと同じだ。さらに言えば、当日非常に好天に恵まれたのも良かった。本当に抜けるような青空だった。これが曇り空や雨模様だったらまた印象も違ったかもしれない。


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 そしてもう一つ、私のスマホに「ホロライブメンバーの電子スタンプ」という思い出が残ったからというのもある。私は土産物やグッズやテナントを飾る趣味も、部屋にそんなスペースもない。しかし、スマホの中になら思い出を仕舞っておける。
 極論すれば、富士急ハイランドである必要性も、ホロライブである必要性もなかったのかもしれない。私はそこまで熱狂的なファンではない。ただ、それがきっかけで、私にとっては仮想世界で何かを得ることも、現実世界の旅の理由やモチベーションに繋がり得るのだということを学べた。

 現実世界で買い物に出かけて目当てのものが見つからなくても、観光に出かけて目的地で失望するようなことがあっても、代わりに仮想世界で何かを得ることができるなら、それは無駄にならずに済むのではないか。──そう考えていった時、位置情報ゲームに辿りついたのだ。



 歩いた分だけアイテムや経験値が手に入るなら、歩いた先でレアポケモンをゲットできるなら、電車に乗った先で新たなでんこに出会えるなら──例え、もはや目的地のゲーセンに立ち寄るきっかけがなくなったとしても、出かける理由になり得る。

 私が普通のソーシャルゲームではなく位置情報ゲームを選んだのは、そんな理由からである。
 ただこれは、ゲームセンターへの決別宣言ではない。今後ゲームセンターに赴く甲斐のあるゲームが生まれる可能性は、まだゼロにはなっていない。私はそう信じている。