追憶の旅路(1)

 先日、ふと思い立ち、今まで何度か書いてきた「もう一人のピコピコ少年」の「その後」を調べてみることにした。いや、もちろん「私のその後」じゃなくて「思い出の場所のその後」だ。本当は直接赴いて、今どうなっているかをこの目で確認したかったのだけれど、そんな悠長な休みは取らせてもらえそうにないので(笑)、グーグルストリートビューという名の文明の利器に頼ることにした。


 まずは小学校時代。当時通っていた学習塾は、もう見当たらなかった。ただ、消滅してしまったわけではなく、場所を移転したものと思われる(駅前に新しい看板と駐車場が残っていたので)。通っていた道はそのまま残っていたが、チャイニーズヒーローを置いていた駄菓子屋はなくなり、保育施設に代わっていた。
 イー・アル・カンフーがあった駄菓子屋は、前にも書いたとおり、場所を特定することができなかった。閑静な住宅街にぽつんとあったその店の周りはマンションが林立しており、道も舗き直されていた。当時の佇まいから考えても、この状況で駄菓子屋を続けていられるとは思えない。
 むしろ驚いたのは、塾の近くにあった個人営業の玩具屋がそのまま営業を続けていたことだ。あれから30年近く経つはずだが看板も建物もほぼ当時のままで、少し嬉しくなった。
 ルパン三世の試遊台を置いていたデパートはまだ残っていた。とはいえ、グーグルストリートビューなので建物の中までは見れないが、玩具売場がそのままなはずはないし、試遊台なんて今はもうないだろうけれど。
 テラクレスタやタッグチームプロレスリングが置かれていたデパートの方は、丸ごと消滅していた。経営母体はどこだっただろうか。もう覚えていないが・・・。


 次は中学生時代。といっても、こちらは語れることがほとんどない。ニンジャウォリアーズの筐体が云々どころの話ではなく、駅前に一歩降り立った瞬間、そこがどこだかさっぱりわからなかったからだ。ゲームセンターの場所がどうこうとかいうレベルではない。駅舎の改築と同時に駅の場所がズレ、さらに再開発か何かで街区そのものが一から変更されたとしか思えない。
 ただ、実家最寄りの駅のことを考えると、こちらの方が本来の形のような気もするのだ。繰り返すが、30年である。新宿や渋谷、原宿や代官山のような歴史のある場所とは訳が違う。町も道も変わっていて当然。むしろ、小学校時代に通った場所が「店の中身は変わっているが、どこに何があったのかははっきりとわかる」レベルで「変わってない」ことの方が特異なのかもしれない……。