実は古参Vtuber


 ロボ子と同時期と考えると、ホロライブやにじさんじのほとんどは後輩になるわけか……。

チートは「裏技」や「隠しコマンド」ではない

togetter.com


 なんか、ソロプレイならチートしても問題ないし、みたいなことを書いてる人がいるけど、何度も書いているとおり、チートは不正行為で、時によっては犯罪だ。


ja.wikipedia.org


www.keishicho.metro.tokyo.lg.jp


 これが肯定的な言葉に変化するというのは、私にはちょっと理解ができないな……。

今にも落ちてきそうな空の下で


 個人的には、一番テーマが明確に示されていると思っている第5部の説明がちょっとふわっとしてるのが残念だった。
 第5部は、主人公がギャングで残酷表現があったり、ボスのキングクリムゾンの能力が直感的に分かり辛かったり、色々な意味で賛否あるけど、テーマの統一感という意味では非常に秀逸だった。
 そのテーマというのが「結果ではなく過程こそが大事」というもの。有名な「今にも落ちてきそうな空の下で」でアバッキオの同僚が語る台詞がまんまそれだし、最終話の「眠れる奴隷」も、仲間の死という結果(運命)は変えられなくても、その死が意味を持つように、過程(運命)を変えることはできるというのがテーマだった。
 だから、このテーマを否定するボスのキングクリムゾンは「過程を吹き飛ばして結果だけを起こす」スタンドだ。そして、アンチ・キングクリムゾンとでもいうべきゴールドエクスペリエンス・レクイエムは「結果に決して辿りつくことができなくなる」スタンドとなる。

 これに対し、例えば第3部のディオのザ・ワールドは、シンプルでわかりやすくて強いスタンドなんだけど、世界を支配するというディオの目的に、時間を10秒だけ止めるというのが何の役に立つのか? という視点から見た上での統一感はあまり感じられない。
 第4部のキラークイーンは、吉良の「証拠を消し去りたい」という願望から生まれたスタンドで、クレイジーダイヤモンドの直す能力の対極にある、というところまではわかるが、では第4部のテーマとはどう結びつくのか、という点では第5部に一歩譲る。
 第5部は、ストーリーのテーマと、それに呼応する悪役の目的、そしてその目的から誕生した悪役のスタンド、そしてそれに相対する主人公のスタンド、全てが一本の線で繋がるようにできている。そういう意味で非常に美しい物語だと思う。
 
 昔、この辺りを丁寧に解説したブログを紹介したことがあるんだけど、リンク先が消えてしまったんだよね……残念。