今日は、山本弘氏の追悼記事の続きの記事である。今回は追悼記事ではないので、普段の文体に戻して書くことにする。
前回のエントリで、戦闘ルールが存在しないTRPGとして「学園ぱらだいす」と「ゆうやけこやけ」を挙げたが、私の知っているゲームの中には他にも戦闘ルールがないゲームが存在するので、補足として挙げておこう。
1つがCLAMP学園ガイドブックに掲載された、CLAMP学園TRPGである。こちらは確かに戦闘ルールは存在しないが、私の知る限り、セッション難易度という意味でいうと、既存のTRPGのなかで最も難易度の高いゲームの一つだと思う。
このゲームは前述のゲームのように「普通のTRPGから戦闘ルールを省いた」ものではない。このゲームのセッションの基本的な進め方は、カードをどんどん引いていき、そのカードの暗示に基づき、演出を即興で決めていくという進め方である。このゲームにおいては、プレイヤー全員(そもそもこのゲームにはゲームマスターが存在しない!)が即興でストーリーを進められる能力と、CLAMP学園という背景となる作品の知識、それとその知識を元にプレイヤー全員で共有される認識がないと、セッションを進めることができない。
なお、このゲーム、サンプルリプレイが掲載されているが、プレイヤーは全員原作者である。原作者なら本作の作品を舞台に、即興で物語を作れるのは当たり前である。しかし一般人には非常にハードルが高い。
ちなみに、このゲームをデザインした松本氏は聖刻1092RPGというワースブレイドを題材にした別タイトルを出しているが、こちらはこちらで「ダイス判定を一切使わない」というセッション難易度の高いゲームである。
それはさておき、もう1つ。これは「蓬莱学園の冒険・改訂版」というゲームである。こちらもクライマックスに戦闘を行うことは想定されていない。改訂前は普通のTRPGのように、立ちはだかってくる相手を倒して先へ進むということが想定されていて、シナリオもそのように作られていたが、改訂版は戦闘の代わりにNPCとの人間関係を構築するのがシステムの肝になっている。
「戦闘の代わりに人間関係を構築する」というのは、先日触れたゆうやけこやけのサプリメント「どこにでもあるふしぎ」という冊子の対談記事の中でも触れられている。こちらは、エブリデイマジックと題して先日取り上げた「ウィッチクエスト」のデザイナーとゆうやけこやけのデザイナーが対談している記事だ。
普通のTRPGのルールから戦闘ルールを削除しただけではセッションの盛り上がりに欠ける。しかし、それでは戦闘の代わりにどんな場面を用意するか。偏見だが、ハリウッド映画であればバトルものの対極にする題材といえば恋愛物。つまり広い意味で人間関係の構築をクライマックスにするというアイデアだったのだろう。
しかし、この蓬莱学園改訂版の「NPCと関係を構築するルール」というのも、戦闘の代わりにセッションのクライマックスに持ってくるにはハードルが高い。戦闘ルールとどこが違うかというと、「人間関係の構築というのは、基本的には1対1でなされるもの」というところだ。つまり、戦闘ルールでいうところの「異なる役割を持つ複数のプレイヤーが協力しあって、目的を達成してカタルシスを得る」という部分が演出しづらい。基本的に、人間関係を構築して達成感を得られるのは、対象となるPCのプレイヤーだけで、他のプレイヤーがそのPCの人間関係の構築に協力しなければならない、というシチュエーションが難しい。
恐らくモチーフになったのは「蓬莱学園の初恋」という、最初の公式小説だろう。主人公が一目惚れしたどこの誰とも知らない女生徒を追いかけるという話で、改訂版はこれを再現しようとしたルールではないかと思われる。
「90年動乱も終わり、武装SSもいない。蓬莱学園は、もはや力で相手をどうこうする時代ではなくなった」。それを表すためにこの「改訂」が行われたのだと推測するが、これは改訂前に比べ、シナリオが非常に作成しづらい。
現に、その証明とまでいうつもりはないが、後々復刻された同人版の蓬莱学園の続編ゲームは改訂前を元にしている。改訂前のルールの方が、純粋に冒険活劇シナリオがやりやすいのだ。むしろ改訂後のルールをやるのであれば、蓬莱学園のようなぶっ飛んだ巨大学園ではなく、学園ぱらだいすのような「普通の学園もの」の方が違和感は少ない。シナリオの作りにくさについては如何ともしがたいが……。
公式リプレイが作るイメージ
ところで、前述の「どこにでもあるふしぎ」というサプリメントのゲームデザイナー対談で、2人のデザイナーは「戦闘が解決手段とならないTRPGの難しさ」を共有している。ではなぜ前回のエントリで「ウィッチクエスト」の方を評価したかというと、これはリプレイの存在が大きい。
「『ウィッチクエスト』には『魔女魔法』という、通常の行動判定の範囲を超えた行動がある」と書いた。では「ゆうやけこやけ」はどうかというと、「変化」という、PC達妖怪が変身する能力が用意されており、シナリオの盛り上がるシーンで使用できる能力となっている。しかし、この能力はPC個人に対して働く能力であり、実際にこの能力を使い「PC同士が協力し合ってシナリオ上のコンフリクトを解決する」ための具体的な方法は、ルールブックからは読み取れなかった。
これに対して「ウィッチクエスト」は、最初のリプレイ「小さな魔女エディス」で「魔女魔法を使って、PC達が協力し合い、街全体に設置された魔法陣の歪みを直す」という行動がクライマックスになっているので、マスタリングする時のイメージが掴める。2つのゲームは「少し不思議なことが起こる日常の中で、戦いではない解決法を探るゲーム」という位置づけとしてはよく似ているが、私の中での評価の差はこの部分に起因する。
逆にいうと、「ゆうやけこやけ」というTRPGの雰囲気は大好きだ。しかしあと一歩、ルール上「駅前魔法学園」でいうところのステージ魔法に相当する何かがあればという、そこが残念なゲームなのだ。あとあえて挙げるなら、このゲームも聖刻1092同様、ダイスを使わないTRPGであり、そこもセッション難易度が高くなる要素かもしれない。