「その顔が見たかった、明智の真相を知った時のその顔が」……と言いたいところだけど、実際に見たらなんだか申し訳ない気分になった。サラは前作をやってなくてイゴールを知らないから、作中一番のどんでん返しがここなんだけど、それで判明する真相がどうしようもなく救いがないってよく考えたら割と酷い。「なんで一日前に言うんだ!」はまさにその通りだと思う。
ブレカナでは真実を見抜くことに意味がない話
シャドウ・オブ・アビスを読み返していて、敵専用の能力である「魔印」と「花押」は相変わらず強力だな、と改めて思った。今回は竜専用のものも増えているので、なおさらそう感じる。
実は、トーキョーNOVAとブレイド・オブ・アルカナのどちらが好きか、と問われた時に、どうしても前者になってしまう理由の一つが、この「敵専用の能力が(殺戮者の設定も含めて)強力である」というのがある。
前にも書いたことがあるように、トーキョーNOVAにおいては、相手のスタイルを見抜くことが非常に重要だ。敵のスタイルを全て看破できれば敵の神業が全てわかるので、対策を取ることも可能になる。
しかしブレイドオブアルカナは、そもそも殺戮者が持っている聖痕の数をプレイヤーは知りようがない。殺戮者のアルカナを看破することで戦闘スタイルを推測することはできるし、魔神に関する知識に精通していれば、NPCの設定や悪徳シーンでの振る舞いなどから、どの魔神と手を組んでいるかは推測可能な場合もあるかもしれないが、その時点で対策を取るのはなかなか難しい。
極端な話をすると、トーキョーNOVAでは、金に雇われた傭兵が敵に回っている場合、相手のスタイルを見抜いた上で神業一発で相手を退場させることも可能な場合があるが、ブレカナではまず無理だ。
先日、「トーキョーNOVAでは隠されている真実を明らかにすることに意味があり、過去や未来には意味がない」と書いたが、逆に言えば、ブレイド・オブ・アルカナでは、殺戮者がどのような過去を経て現在の状況に至ったのか、そしてこれから何を為そうとしているのかを悪徳シーンなどを通じて知ることには意味があるが、相手のアルカナを見抜くことにはトーキョーNOVAほどの意味はない。まして、殺戮者はその設定上、自らの悪徳を聖痕者たちに披露せずにはいられないとなっているから、「隠された真相を暴く」という状況に陥らない。
トーキョーNOVAは過去や未来が意味を持たない街。そしてブレイド・オブ・アルカナは隠された真相を暴く意味がない世界であると、ゲームシステムが指し示している。これもまた、世界設定とゲームシステムが不可分であることの一つの表れだと私は思っている。