この物語は「終わりの『始まりの物語』」である。
この映画が公開されたら、最初の週末に観るというのは決めていた。どれだけの観客が入るのか、いつ公開終了になってしまうのか読めなかったからだ。
劇場に入ると、待合室で知り合いであろう観客たちが談笑していた。チケットを買う時、劇場の一番後ろの列が8人分一直線に予約されている座席表を見て「もしや」と思っていた。8人というのは翔握戦のチームの人数だ。この人数にピンと来ない星翼のプレイヤーはいないだろう。
劇場の近くには、大きなゲームセンターがある。そこには稼働当時、星と翼のパラドクスの筐体が8台並んでいた。彼らは恐らく、星翼でチーム対抗戦が行われていた、一番盛んだった頃に、最寄りのゲーセンでチームを組んでいたメンバーたちだろう。
もう一つ、私が彼らは元チームメンバーなのではないかと確証を持ったことがある。談笑する彼らとすれ違った時に、こう言っているのが聞こえたのだ。
「これは墓参りだ」と。
うまいことを言うものだ、と内心思わず笑ってしまった。そのとおり、これは「星と翼のパラドクス」という、オンラインサービスを終了し、もはや遊ぶことができない、消滅したIPの墓参りなのだ。
星と翼のパラドクスは、体験という意味では世界最高のゲームであり、7年前のゲームでありながら、今もなおこれを超えるゲームはどこにも存在しないと私は思っている。そのサービスは4年前に終了したが、このゲームに脳を灼かれた私のようなプレイヤーの魂は、今もゲームの舞台となる「巡星」の空を彷徨っている。
だから、出来の良し悪しは関係ない。自分の中の星と翼のパラドクスを終わらせるためには、この劇場版を絶対に見に行く必要があった。これは、IPへの墓参であると当時に、そんな自分の魂への鎮魂歌なのだ。
(以下、劇場版アズワンのネタバレを含むため折り畳みます)
・前提として、私は当時スマホを持っていなかったので、ゲームセンターにあった星と翼のパラドクスはプレイしたことはあるものの、同ゲームのサポートアプリである「星翼ナビ」は見たことがない。従って、仮にそこに本劇場版に関連する情報が掲載されたことがあったとしても、それについては一切触れていない。
・今回の劇場版「アズワン」は、ゲーム本編の20年前の物語だ。なので、本編の登場人物たちはほとんど生まれていない(最年長のイサドラが3歳)。ゲーム内に登場する国名などの固有名詞は本作内でも登場するが、例えばヒカリやシャーリーといった人物はチョイ役としても登場しない(途中に出てくるオペレーターがあまりにもヒカリにそっくりなので、もしかしたら親族という裏設定があったりするのかもしれない)。
・この劇場版を見始めて一番気になったのは、作画である。これは予告編を見てもすぐに気づく。私は劇場に向かうまで一切情報を遮断していたので全く気付いていなかったが、非常に特徴のある作画だ。公式が公開しているチェイスシーンなどを見ても一目瞭然だ。街並みにしても、空の雲にしても、非常に簡略化されて描かれている。
最初、これは作画コストが削減されたためにこうなったのかと思っていたが、パンフレットを見ると、どうやら「イメージボードをそのまま動かす」という意図的なコンセプトのようだ。とはいえ、慣れもあるとは思うものの、この作画で「採掘坑」や「落下するデブリ」と言われても、画面に登場すると前衛芸術のオブジェにしか見えない。無料で見れるゲーム本編のPVの方がはるかに見やすい。
せめて舞台となる「地球」と「巡星」の2つのうち、「地球」の場面だけでも普通のアニメの作画になっていれば「これは「巡星」という場所の特異性を表すシンボリックな表現なのだな」と受け入れられるが、冒頭の地球の描写からして上記の通りなので、これを受け入れるのはなかなか難しかった。ジョジョの冒険第4部アニメのサイケデリックな色調が賛否両論だったのと同じ印象である。
後半の戦闘シーンなどは、画面のほぼ全体が蛍光紫と蛍光ピンクに彩られ、負担が大きく、時折目を閉じざるを得なかった……クライマックスなのに、である。
・あと、主人公の声について。恐らく、テーマ曲を前面に押し出すために歌手の人を使ったのだと思うけれども、テーマ曲はテーマ曲として、主人公の声優にはプロの人を使ってほしかった。
パンフレットの貞本さんのコメントに「主人公は当初もっとミュージシャン然としたデザインだったが、監督から指示されたのが一般的な高校生だったのでデザインを変えた」とあった。それも当然で、ゲーム版の時点では、主人公はプレイヤー自身なのだ。
これは主人公に感情移入するとかそういう話ではない。ゲームの設定上、主人公に相当する人物はプレイヤー本人であることがはっきり描写されている。
このPVの最後に出てくる、渋谷ツタヤのビジョンと思しき場所の前に立っている人物がそうだ。この映画の観客で、お前はミュージシャンだと言われて感情移入できる人間は少ないだろう。星と翼のパラドクスのプレイヤーは「私」であり「あなた」であり、「普通の人間」なのだ。
・この2点を除くと、話の筋書きは良い意味でも悪い意味でも想像した通りだった。「星と翼のパラドクスというゲームを原作に、本編の20年前の物語を描く。そして主人公が地球人で、ヒロインが巡星の住人」というストーリーのコンセプトを聞いた時点で、多分こうなるだろうと思うほぼその通りにストーリーが展開する。
「エアリアルという巨大ロボットはなぜ、どのように生まれたのか?」
「それを動かす動力として、どうして巡星の住人の他に地球人の力が必要なのか?」
先程のPVの描写からも、設定として存在することはあらかじめわかっていたが、ゲーム冒頭のチュートリアルでは、ヒカリは一切語ってくれない。これらの謎には、一応劇場版内で答えが出されている。
・冒頭で述べたように、この作品にはゲーム本編に登場する人物は登場しない。ではメカニクスはどうかというと、なんと本編の主人公機「ソリディア」が、劇場版のラスボスとなる。主人公は何に乗るのかというと、鉱山採掘用の、最小限の兵装しかついていない、ゲーム本編には登場しないマシンである。エアリアルですらない。
私はてっきり、ヒロインの父親が秘密裏にもう1機エアリアルを作っていて、ソリディアとシーユーレイターの2機のエアリアル同士で戦うのがクライマックスだと途中まで思っていたのだが……。
・また、ゲームの背景情報だった、対立するヴ・レード星王国 と 轟国ア・スレッガの存在も本作で触れられ、両国の首脳が複数回登場はするものの、「敵国の陰謀だー、絶対に許さないぞー」と、同じ作画でほぼ同じ内容を繰り返すbotと化していたのでお察しである。まぁ、深掘りしていたら尺がいくらあっても足りないだろうが、自分はゲーム版でこんな奴らのために戦っていたのかと思うと空しさを覚える。
・パンフレットには「この作品は考察する余地がある作品」と書かれていたが、ちょっと疑問だ。何しろ、メディアミックスとしてあるべき対になる作品がすでにサービス終了しているのだ。
一応、ゲームの登場人物は一切登場しないといったものの、ゲームで唯一発生したイベント名である「キザナ共闘戦線」の「キザナ」という名前は、本作に登場するキーパーソンの名前だ。20年後だからゲーム時間軸でも生存している可能性はあるので、何らかの関連はありそうだが、その答えをゲーム内で見つけることは永遠に不可能だ。なお「キザナ」と両国の国名以外のゲーム版の固有名詞は一切本作中に登場しない。エアリアルの「ソリディア」すら、名前は出てこない。
・そして本作は、よくよく考えるとかなりのバッドエンドである。
本作では、主人公とヒロインの精神的結びつきが「リアライド」というゲーム本編には登場しない名称で呼ばれ、それが「星血」と呼ばれるエネルギーを消耗しつくし、滅びに向かう「巡星」を救う鍵となる、という流れでストーリーが進む。また同時に、巨大兵器であるエアリアルを起動するにもリアライドが必須である、という設定だ。
つまり「本作の主人公とヒロイン、2人の絆の証である星血の結晶は、20年後には戦争のための道具に転用され、巡星を救うエネルギーとして登場したはずのリアライドは、エアリアルという兵器の動力源として実用化されるのが、ゲーム版の設定だ」ということになる。
本作で争い事を止めたいと願っていた主人公やヒロインの願いは、完全に正反対の形で叶ってしまったことになる。
・この物語は本来、ゲーム本編がサービスインしている間に公開されるべきものだった。それは確かだ。だからパンフレットに「本作のプロジェクトは、ゲームのサービス終了後にスタートした」とあったのには驚いた。本作のタイトルが「劇場版・星と翼のパラドクス」でなく「アズワン」なのは、ゲーム版のプレイヤーに訴求すると同時に、ゲーム版未プレイの新規の観客にもアピールしたい、という思いがあったからだろう。
しかし、そんな意図があったのならなおさら、冒頭に述べた癖の強い作画は、決して一般受けしやすいものとは思えない。それこそゲーム版PVの雰囲気をそのままに映画化した方が、よっぽど新規顧客には受け入れやすかっただろう。
また、ゲーム版のプレイヤーに訴求するのであれば、主人公の声優がミュージシャンだったり、ヒロインの乗る機体がゲーム版に登場しない新規のメカニクスなのは、感情移入やファンサービスという点では違和感がある。あと、ゲーム版で思い入れの深い主題歌(歌詞が思いっきり本作のテーマになっている)が一度も流れなかったのは残念だった。
・とはいえ、この作品に意味がなかったとは思わない。これは「終わりの『始まりの物語』」。星と翼のパラドクスという世界は、ウロボロスの円環のように、この作品で始まり、この作品で終わる。
4年前、最後に「それじゃあ、またね!」と語りかけてきたシャーリーと、本作で再会することはできなかった。彼女が生まれるのはこの物語のずっと後。でも、これでお別れだ。君と巡星の空を駆け巡るのは本当に楽しかったよ。さよなら、巡星ヤロウ。