実は今回のふぃあ通は、タイトル通り「情報収集判定に失敗した時、どう情報を与えるか」がテーマなんだけど、それだけではなく、トーキョーNOVAというゲーム、特にトランプを使った判定と、それ以外のゲームの判定の違いについて、とても大事なことが語られている。
トーキョーNOVAは判定にトランプを使い、その他大多数のゲームは判定にダイスを使う。これは単に「ランダマイザ(乱数発生器)として使う道具が違う」という以上に大きな違いがある。トランプは山札から引き、手札にしてから判定に使用するので、カードを出す前からカードの数字は分かっている。つまり、判定の成否は出す前に決まっている。対して、ダイスは振るまで結果がわからない。
これについて、特にトーキョーNOVAをあまり好きではないプレイヤーからは、「判定する前から結果がわかっているランダマイザは、判定する意味がない」や「判定にわざと失敗するというのは違和感を覚える」なんていう意見を聞くことがある。
最終的には好みの問題になってしまうが、私自身がトーキョーNOVAの判定方法が好きなのは、この判定方法がダンジョンズアンドドラゴンズでいうところの技能判定のような「ダイスを振って結果を求める判定」と、魔法の使用のような「ダイスを振らない代わりに、リソースを消費して結果を求める」というタイプの行動の中庸の特徴を持っているからだ。
いわば、手元の手札がD&Dでいうところの魔法リストで、いいカードは使用すればなくなる、結果を求めたいならそのリソースを切らなければならない、というのがトーキョーNOVAにおける情報収集判定だ。なので、ダイスを使って情報収集判定をするのとは根本的に考え方が異なる。
動画でも言われているように、全員の手札が枯渇していて、誰一人成功できないというシチュエーションは相当確率が低い。ただ「クライマックスで使用するための良い手札をどこまで温存し、リサーチでギリギリの成功を求めるか」というのが、プレイヤーにとって最大の問題になってくる。D&Dの僧侶でいえば「特定レベルの魔法を使える回数は決まっているが、探索に使うか戦闘で使うかというのを選択する」のと同じだ。「わざと判定に失敗する」のは、単純に「その場面では魔法を使わないことを選択した」ことを意味する。トーキョーNOVAの判定を、普通のゲームでダイスを振る行為のみの代わりと考えると、その本質が見えてきづらい。
そして、トランプというランダマイザの面白いところは、良いリソースを切ることによって、手元により良いリソースがやってくる可能性も0ではないということだ。状況を打破するために仕方なくリソースを切ったら、前より状況が良くなるという可能性も決して低くはない。あえて身を切ることによって前に進めることもあるのが、トーキョーNOVAの面白いところだ。
だからこそ本当は、トランプをランダマイザとして使用する、ファンタジー世界を舞台にしたTRPGも出てきて欲しかったんだけどな……。
ちなみに
ごく低確率だけど、全員が適切なカードを持ってなくて、情報収集判定に誰も成功できなかったらどうするか。これは、ダイスで情報収集するゲームで全員が失敗し、かつフォロー手段がないゲームにも該当するのだけど、私の場合は「与えようとしていた情報を、別の情報収集項目で渡す」という対応をすることが多い。
要は、例えば「行方不明の○○の居場所を探す」で、全員が判定に失敗し「これじゃ○○の居場所がわからないからどこに助けに行ったらいいかわからない」という時、別の情報収集で「怪しい企業××を調べていたら、どうやら裏で○○を監禁しているらしい」とわかる、というもの。これは当初その項目で情報を渡す予定がなかったとしても、後でアドリブで追加してしまう。そうすると、プレイヤーは大体「あ、最初からこの二つの項目は繋がってたんだな」と思ってくれるからだ。
どうあっても他の項目と繋がらなさそうであれば「別の項目を新たに設定する」とか「そのジャンルに詳しそうなコネの判定で情報を渡す」こともある。「あなたは知らなかったが、彼は知っていたので教えてくれた」とするわけだ。逆に、シーンに登場するメンバーが同じであれば、一旦失敗した項目にシーンを変えて再挑戦させることはあまりしない。ルーラーが露骨に助け舟を出したように見られることがあるからだ。「失敗してもどうせルーラーが何とかしてくれる」というのは、プレイヤーのモチベーションを下げてしまいかねない。
