草薙京は、KOF95であれだけバランスブレイクの永久連続技を持っていたのに、KOS98でもお手軽永久を持ってたのか……まぁ、八神庵も96であれだけ猛威を振るったのに、98でまだ強キャラの地位を維持していたから、あまり人のことは言えないんだけども……。
比較的バランスが取れていると言われていたKOF98で、しかも主人公格の二人でこれだから、シリーズ全体としてバランス調整は言わずもがなという感じ。誰だったかプロ格闘ゲーマーが「KOFは半分アクションゲームみたいなもの」と評していたが、恐らくこういったバランス調整の部分も含めてそう評価していたんだろう。
バビロニアン・キャッスル・サーガの歴史
完全受注生産ということで、実際に届くまでは本当に生産されているのか半信半疑だったが、ちゃんと届いた。ブルー・クリスタル・ロッドまでの、いわゆる公式展開の範囲に限られた資料といえど、その量は膨大だ。バビロニアン・キャッスル・サーガの歴史の重みを感じる。
特に、初期のアイテム名にカティノやマハリトなどウィザードリィの呪文名がそのまま使われている辺りなどは、今なら考えられない話だろう。
もう一人のピコピコ少年の思い出
さて、そんな今も昔も「バビロニアン・キャッスル・サーガ」の大ファンである私だが、この第1作であるドルアーガの塔との出会いは、実のところかなり遅かった。
遠藤氏があちこちで述べているように、ドルアーガの塔はもともとマッピーの基盤を活用するために作られたプロジェクトだ。つまり、アーケードゲームとしてはかなり古いゲームに当たる。
その当時、まだ私はゲームセンターに出入りできるような年齢ではなく、駄菓子屋などの店頭でしかアーケードゲームを見たことがなかった。そういった場所の筐体は、入れ替わる頻度も少ない。
そんなわけで、ドルアーガを初めて知ったのはファミコンソフトとしてだったが、周りの友人にこのソフトを買った者は1人もいなかった。恐らく、当時から難解なゲームであるという噂が子供たちの間でも流れていたからだろう。一度だけ、遠方の友人から借りたという友達の家にあったものを見たきりだったが、ハイドライドとは似て非なるファンタジーの世界に魅了されたのを鮮明に覚えている。
しかし、アーケードに触れる機会もなく、ファミコンソフトもプレイできず、初めて最初から最後まで遊んだドルアーガは、なんとゲームブックである。こちらの三部作も、ドルアーガファンには有名な作品だ。こちらはこちらで、原作のドルアーガとは違う意味で難解な作品で、小学生だった身にはなかなかハードルが高かったが、その難しさを補って余りある魅力を持つ世界観だった。
PCエンジン版でドルアーガの塔に再会するまで、私のギルは塔を離れ、ウツロの町を冒険していたのである。