毎回同じことを言っている気がするけど、今回も興味深い話だった(笑)。
なるほど、デザイナー本人にトレイダーズにインスパイアされてりゅうたまを作ったと言われると、細かい物資の管理を楽しんだりするところとか、結構共通する要素があるようにも思えてくる。
動画でも言われているように年寄りの昔話になってしまうが、自分の話をすると、私は恐らく年齢的なものというより、ゲームの世代的な意味で久保田さん、岡田さんより少し前に位置している、と思う。鈴吹社長との間の世代というよりは、二人の逆のゲーム体験だ。もちろん、「ソード・ワールド」をメインで遊ばなかった、という意味で。
私や仲間たちが逆張り気質だったというのは否定しないが、個人的にはタイミングの問題が非常に大きいと思っている。私がTRPGを知った時、ソード・ワールドはまだこの世になかった。だから、岡田さんのようにソード・ワールドが入手しやすいとか、それ以前の問題だった。
では、久保田さんのようにソード・ワールドに「乗り換えなかった」のは何故か。もちろん社長とは全く違う理由だ。実のところ、私も仲間たちもソード・ワールドに期待していた。ドラゴンマガジンに連載されたコラム「ファーラムの剣」で描かれた世界設定は幻想的で、非常に魅力的だったからだ。
しかし、実際にルールブックとほぼ同時に発売されたリプレイは、ローズ・トゥ・ロードを想起させるような初期のイメージと裏腹に、ギャグテイストが強めだった(先日SFC版にゲスト出演した彼らを見たゲーム実況者は「剛力無想の吟遊詩人がひたすらイジられる作品」と評していた)。恐らく、最初にリプレイから入った人にはすんなり受け入れられたと思うが、仲間たちが感じた最初の違和感はそれだった。
そして、あの「モンスターたちの交響曲」へと繋がる。モンスターを倒さず、敵をルール外で説得することを是とする世界観は、プレイヤーたちからの抵抗が非常に強かった。
冒険者の宿の設定も似たような感じだ。あるプレイヤーはこういった。「いつもいつも頼みごとを引き受けないと話が始まらないのは、冒険者じゃない。何でも屋だ。俺は冒険がしたいんだ。これじゃD&Dで全員ローフルのPCしかできないようなものじゃないか」と。
実際、コロコロ少年の第1回でD&Dのキャンペーンの始まりを「国王に頼まれて盗まれた王冠を奪還する」というシナリオにしたが、2回目以降のシナリオは「未踏破の迷宮を踏破する」のを目的とし、PCたちは自発的に探索に赴き、何の依頼も受けていない。財宝があるから漁りに行っているだけだ。もちろん、今ならこんな反応はないだろう。当時ならではだ(財宝を得ることが経験値になるD&Dならでは、とも言える)。
上記はプレイヤーからの所感だが、DMとしての私には別の問題があった。コロコロ少年の13回で書いたように、私のプレイグループは、プレイヤーが固定ではなかった。予定が空いているものがたまたま集まる。そんな場合に、クラススキルシステム制のソード・ワールドは、どの技能とどの技能持ちが揃えばセッションが可能なのか判断できなかったのだ。一見すると、こういう環境にはマルチクラスが自由にできるソード・ワールドの方が向いていそうに見えるが、実際セッションにあたって「二人目のキャラを作らせた方がいいのか、それとも既存PCに新スキルを取らせた方がいいのか」という判断基準がないのは、主宰するDMとしては辛かった。
そして先程の発売時期の話が出てくる。先日の年表をもう一回貼るが、実はD&Dからソード・ワールドには4年の時間差がある。子供にとっての4年は大きい。ソード・ワールドが出るから4年待つという選択肢はない。これに対して、ソード・ワールドの5ヵ月後にはロードス島戦記コンパニオンが出ている。これはソード・ワールド同様、書店流通だ(文庫ではないムックサイズだが、アニメ雑誌等と同じコーナーにあり入手しやすかった)。ロードスは当初D&Dとしてプレイされていたくらいには世界観の親和性が高く、しかもクラスシステム制のゲームだ。
この表を見ると、黎明期のTRPGの中では、ソード・ワールドは決して早い方ではないのが分かる。その発売までにはローズ・トゥ・ロードは版上げすらしているし、WARPSはもちろん、ルーンクエストやワースブレイドも世に出ている。そして、ロードス島戦記コンパニオンの1年半後には、ギア・アンティークが待っている。
後に知り合ったTRPGプレイヤーの中には、もちろん岡田さんのようにソード・ワールドでTRPGを知り、始めたという人は多かった。入手しやすさとハードルの低さが段違いだったのは確かだ。しかし、色々な理由でそれが肌に合わなかった人間にとっては、ハードルの高ささえ厭わなければ、既にいろいろな選択肢が存在した時代でもあったのだ。